ジャック・ケルアック著『路上』 福田実訳 河出文庫
訳者ノート 『路上』とビートジェネレイション
「ビート・ジェネレーション」の聖書 新鮮な感性と激しい苦悩 自伝的内容 「ビート・ジェネレーション」 交友 結合感 「ビアティテュード」(至福) 晩年 「ビート・ジェネレーション」の聖書
ジャック・ケルアックの『路上』は1951年に一応完成されていた。しかし、その後六年間は陽の目を見ることができず、1957年になって著名なマルカム・カウリーの推挙によりようやくViking Pressから出版された。出版と同時に『路上』はたちまち「ビート・ジェネレーション」の聖書とまで騒がれ、ケルアックは「ビート・ジェネレーション」の代表的作家として一躍脚光を浴び、世界的にその名を知られた。拙訳が河出書房より初めて上木辛されたのは、1959年のことであり、その後何度か版を改めたが、このたび河出文庫版として更に多数の読者に接する機会に恵まれたので、改訳の手を加えた。
『路上』は、第二次世界大戦後の冷戦期におけるアメリカ青年たちの精神風土を舞台として、その新鮮な感性と激しい苦悩を刻明に描いた一大青春小説である。主人公のサル・パラダイスは、驚くべき奇矯児ディーン・モリアーティの活力に溢れた言動を中心に、アメリカの広い広大な路上に展開される現代アメリカ青年男女たちの苦悩、悲哀、屈折した精神状態を息もつかない熱情で物語っている。
ケルアックの全作品は自伝的内容を反映したものであり、この作品でも一人称のサル・パラダイスは作者自身、問題のディーン・モリアーティは少年感化院出身のニール・キャサディNeal Cassady、カーロ・マークスは『吠える』Howlの詩で勇名を馳せビート運動の指導的立場に立ったアレン・ギンズバーグAllen Ginsberg、そして『裸のランチ』Naked Lunchで特異の作風を知られるウィリアム・バロウズWilliam Burroughsが『路上』ではオールド・ブル・リーであり、その他コロンビア大学時代の仲間たちも登場している。これらの実在人物と作者の緊密な交友関係は、ビート・ジェネレーション作家群の核心的な展開を示しているといえるだろう。
この作品が1951年に出版されなかったことは、ケルアックにとって不幸なことだったが、結果においてはむしろ幸運だったといえる。それは1950年代から60年代にかけて、この作品が大きな意味を持ちうる状況がアメリカ社会に庄成されたからであった。長髪、顎ひげ、ジーパン姿、裸足の男たち、長髪に黒いドレス、黒いストッキングの女たちがサンフランシスコやバークレーを中心に群がり、これらのヒッピーと呼ばれる異様な若者たちは強烈なジャズの迫力に無我夢中となり、酒とマリファナに陶酔する一方、因習的で安易なアメリカ文明に公然と反抗して、そのような体制から疎外された人間集団を形成した。ケルアックやギンズバーグやバロウズたちは大戦直後からすでにアメリカ社会の現実に批判の目を向けて、自分たちをビートと称していた。「ビート・ジェネレーション」という名称もケルアック自身によって命名されたようである。これは明らかに、第一次大戦後の幻滅と虚無感の中でフィッツジェラルドやカミングス、ヘミングウェイやフォークナーたちが活躍した「ロスト・ジェネレーション」という比類のない文学世代を意識したもので、アメリカは今世紀に二つの重要な文学世代を持ったといえる。
「ビート・ジェネレーション」(その若者はビートあるいはビートニクと呼ばれた)は、現代の物質文明を嫌悪、拒否して、順応主義や体制の中の歪められた人間性を解放し、生きるに値する新しい社会を見出そうとしている。それはアメリカ植民以来のフロンティア精神、新しい人間(ニュー・マン)、個人の自由という理想を伝統的に継承する精神であり、ソローの逸脱、自然児ハックルベリー・フィン、アメリカの健やかな大自然の中での個人と性の解放を声高らかに歌ったホイットマンの血統に沿うものであろう。ビートニクの生き方は、原始主義、バーバリズム、実存主義、東洋神秘主義、禅的瞑想、麻薬煙草、性の解放、ジャズ、スピードなど可能な限りの手段を結合して、その精神的、肉体的リズムから新しい次元の世界に到達しようとするものだった。ケルアックの『路上』は、このようなビートニクあるいはヒップスター(ヒッピー)と呼ばれる若者たちの精神風土が最高潮に達していた1957年という時期に出版されたのは幸いなことだった。この作品は既成の文学にこだわる批評家たちからは手厳しい攻撃を受けたにもかかわらず、世界的に多くの読者を獲得した。
ケルアックがこの作品を書く以前に悩んでいた問題は、故郷マサチューセッツ州ロウエルに住むフランス系カナダ人の両親を始めとする町の人々の素朴で温かい人間的結合に比べて、大都会ニューヨークの甚だしい貧富の差、非人間的疎外、偽善といった歪んだ光景に自分の胸を締め付けられることだった。また第二次世界大戦が始まると彼は学業を中退して海軍を志願したが、ここでも軍隊という冷酷な組織に打ちのめされた。ケルアックは控え目で内向的な性格だったので、現代社会文明の重圧は耐え難いまでに彼の精神を苦しめた。アレン・ギンズバーグを始めとする知的な仲間との深い交友は、僅かに彼の心の支えとなっていた。同性愛を迫られて殺人を犯した友人を庇ったために警察に逮捕されたこともあった。そのようなケルアックの前に彗星のように現れたのが、少年感化院から出てきたばかりのニール・キャサディだった。どことなく外貌的に自分に似たところのあるニールの、すさまじいばかりの行動力、判断力、説得力と人間的な魅力は、青天の霹靂のようにケルアックを圧倒した。それは1946年のことで、キャサディに惹きつけられたケルアックの長い新しい人生がそこに始まった。『路上』はキャサディ(すなわち作中人物のディーン・モリアーティ)との交友を中心に、その間の青春放浪を詳細に、ロマンティックに描き出している。主人公サル・パラダイスの「パラダイス」という意味深長な名前は、ギンズバーグの詩中の「悲しい(サッド)パラダイス」から命名されたそうだが、ビート作家たちの深い交友関係は、ギンズバーグの代表詩『吠える』も、バロウズの小説『裸のランチ』も、ともにケルアックが名づけたということで、その精神的結合がいかに深いかが窺い知れるだろう。
作者自身を反映するパラダイスはディーンの目まぐるしい行動力に惹かれてアメリカ大陸を幾度となく横断し、メキシコまで足を延ばし、その間女性関係をふくむあらゆるディーンのトラブルに巻き込まれていくが、パラダイスはどのような場合でも非常に抑制的で、ディーンとの不即不離の関係にありながら常に一歩離れた内心の距離を保っていることは注目されよう。パラダイスは放浪の後には必ずといって良いほど、叔母の許に戻っていく。この「叔母」は実際には作者自身の母ガブリエルで、作者の心底には家族との強い愛情に基づく結合感が横たわっている。作者はこの母の許に戻るたびに、体験したアメリカの光景、ディーンを筆頭とする友人たちとの心の触れ合いをスケッチし整理している。パラダイスの追求しているものは物質文明の下に存在する生々しい地肌のアメリカであり、苦しみ、悩み、嘆き、あきらめる人々への心からの愛ではないだろうか。路はアメリカの自由、人間の自由を象徴するように延々と拡がり続き、傷ついた天使たちは血みどろの苦悩を背負ってその上を歩く。国境の暗闇の中でもうろうと姿を現した白髪の老人が、「人間のために嘆くようになれ」と語りかけるのは作者の意図を険果的に示した描写といえるだろう。
『路上』の作者ケルアックは「ビアティテュード」(至福)の作家ともいわれる。現代において、至福という言葉ほど残酷な言葉もなかろう。人間同士の自由なひろい心のコミュニケーションと愛の失われている社会や、何億人の飢餓や、何万という強大な核弾頭をかかえている社会に、至福のカケラも存在するはずはない。ビート族には麻薬を手段として幻覚的な至福に到達しようとするものもいた。たとえ幻覚的な至福が一時的に得られたとしても、麻薬によって蝕まれていく肉体と精神の最後は悲惨なものである。ケルアックにとって至福とは、心と心の触れ合い、人と自然との触れ合いによって導入される超絶的な幸福への憧れを意味しているように思われる。その限りでは、アメリカの伝統的な超絶思想に根ざす理想主義者である。ケルアックは『路上』が出版の運びに至るまでの六年間、貧困と苦痛の中で多くの作品を書き上げたが、同時に仏教の経典にも異常な関心を払ったこともよく知られている。「彼はビート・ジェネレーションの代表作家であるがために絶えず攻撃を受けたが、彼自身は『私はビートの王者だが、ビートニクではない』といったとある伝記作者は述べている。
あの強烈なビートの先行者だったニール・キャサディはその後、裸でメキシコの鉄路上に死んでいるのが発見された。健康を害して晩年は親しい友人との交際もなく深い孤独感につつまれていたというケルアックは、1969年10月フロリダで47歳の生涯を閉じ、アレン・ギンズバーグ、ジョン・C・ホームズ、グレゴリー・コルソら友人たちが悲しく見守るなかで、故郷マサチューセッツ州ロウエルのエドソン墓地に葬られた。ビート文学の指導者ギンズバーグは1974年、詩集『アメリカの没落』で、「ナショナル・ブック・アウォード」賞を受けた。